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社団法人 日本産業カウンセラー協会
社団法人 日本労働安全衛生コンサルタント会
特定非営利法人 日本ファイナンシャル・プランナーズ協会
京都府社会保険労務士会 |
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大学卒業後、「資金を貯め、自分で何かしてみたい」という動機で、生命保険
会社に入社しましたが、なじむことができずに1年後に退職。
その後、電車の清掃、食品会社の製品仕分け、警備員のアルバイトを経て、
労働省(現在の厚生労働省)に労働基準監督官として採用されました。
役所での勤務時代は、監督官として、労働基準行政の三大業務(監督・指導、
安全・衛生、労災補償)の第一線で働くことができ、各部署では、良き上司、先輩、
同僚、後輩、そして同期に恵まれましたが、職務を通じ、職場内の争いや災害が、
労使を問わず、多くの人を苦しめるのを目にし、「働く人が幸せでなければ、企業
は決して栄えない」という結論のもとに、自ら企業の労務管理がしてみたいという
思いが芽生えました。
10年を機に退職し、「働く人が幸せであってこそ、企業は栄える。これからは、
働く人の幸福と利益のために働き、地元企業の発展に貢献していこう」と思い
を定め、社名を「福利厚生事業会」として、開業しました。 |
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しかし、「思い」以外になんのあてもなく、「働く人を幸せにする」にはどうすれば
よいか、さまざまなアイデアを練るものの、現実化できるものもなく、仕事の内容
さえはっきりしないまま、時間ばかりが経過し、時々入るコンサルタントのような
仕事も、自分の「思い」とはかけ離れたもので、徐々に気が滅入ってきました。
1年が経過する頃には、朝、起きるのが苦しくなり、とうとう、1日中寝込んでしま
うようになり、数少ないお客様からの電話を布団の上でかろうじて受けたりしてい
ました。
それでも、不思議なもので、世間が一日の営みを終えた夕暮れ以後や、土曜・
日曜日は元気になり、翌日からの再起を誓うのですが、やはり朝になると起き上
がることができず、昼夜逆転の日々を布団の中で過ごしていました。
そうした生活が3週間程度続き、意気消沈していた頃、一緒に夕飯をと訪ねて
きた親友が、気づかぬ間に封筒を置いて帰りました。
開けてみると、中には、友人と、その少し前に病気で亡くなった恋人との連名で、
「開業祝」と書かれた封筒があり、たくさんのお金が入っていました。
「篠原君、頑張りや」。その瞬間、亡くなる少し前に一度だけ電話で聞いた声が、
頭の中に響きました。
あわてても仕方がない。原点に返って、自分のやり方で、自分のやりたいことを、
じっくりとやっていこう。考えを新たにしました。 |
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考えを新たに、まず朝きっちり起きるという当たり前のことができるように、また、
少しでも収入が得られるように、早朝と午前は、アルバイトをすることにしました。
本業とは全く関係のないアルバイトでしたが、あれほど朝起きることができなかった
のに、再び働き始めるとすっかり元気を取り戻し、「働くことは人を元気にする」のを
実感しました。
本業と早朝・午前のアルバイトのかたわら、必要を感じていた資格の勉強を開始し、
そして、僅かずつでき始めてきたお客様と接する中で、何が求められ、自分に何が
できるのか、じっくり考えました。
その後も、多くの方からさまざまな応援をいただきながら、開業してかなりの時間
が経過しましたが、ようやく、自分のやり方を確立するに至りました。 |
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